Ethos

私たちに特定の理念はありません。
「こうあるべき」といった理想的な姿をあらかじめ想定し、それに自らを近づけるようなことはしてきませんでした。
目の前に現れた様々な問題を解決し、そこから学習するプロセスを継続してきた結果、徐々に現在の形が作られてきたのです。

アインシュタインは次のような言葉を残しています。
「我々の直面する重要な問題は、その問題を作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない」。
問題の解決において創造的な解決策は「新しい情報」の付加によってもたらされるものではなく「新しいものの見方」ができた瞬間にもたらされるということです。
そして、一度その見方で判断されたならば、それまで慣れ親しんだ観念は相対化され、目の前の現象は再定義されることになります。
しかし「新しいものの見方」は、それほど容易に喚起されることはありません。

では「新しいものの見方」をできなくなる要因とは何でしょうか?
それは「大人のように考える」思考プロセスの中にあると私たちは考えます。
人間は皆、所属する社会や集団に共通する通念や常識を身につけ、「善」とされている枠組みを共有しながら大人へと成長して行きます。
そういった「枠組み」の共有は、その社会におけるコミュニケーションを円滑にします。
ただその反面、特定の枠組みのみに基づいた考えは固定観念や先入観といった偏見を生みやすく、時に自由で柔軟な発想の妨げとなります。
特に限定的な領域における学習が強化されている「エキスパート」と呼ばれる人たちにおいては、それが強くなる傾向にあります。

創造的な問題解決を図るためには、子供のように新鮮な視線で物事をありのままに観察する力、子供のように先入観なく疑問を持つ力、子供のように常識にとらわれずに自由に思考する力が大切である、と私たちは考えます。
大人になってしまった我々は、これまでに獲得した知識や経験に基づいた「大人の思考」を自覚的に排除しなければなりません。
そのためには、通常、潜在意識の下で自然に行われている「大人の思考」を意識の俎上にあげ、そのプロセスを能動的に観察することで、各人が個別に持っている認知の偏りを特定し、それを理解し、吟味し、選別し、時に破壊することが必要になります。
つまり私たち大人は、思慮深く観察し、思考することによって、ようやく子供のようなまっさらな視点を取り戻すことができるのです。
私たちは、そのようにして発見されたバイアスを、発想を生み出すための基準点として活用することで、現前している問題に対する「新しいものの見方」を発見し、問題を再定義します。

とはいえ、どれだけ斬新で革新的なアイデアが生み出されたとしても、それが実現まで結びつかなければ意味がありません。
私たちは責任感と、プロとしてのプライドを持って、その実現に向けて力を注ぎます。
実現に向けたグランドデザインを描き、知識や経験・知恵を最大限に活用し、不足している部分は創意工夫によって作り出す努力を惜しみません。
多方面から検討する具体的な施策の立案と検証の循環プロセスから学び、たゆまぬ改良に粘り強く取り組みます。徹底的なリアリズムを前提とした「大人としての実行力」をもって、新しい見立てから表出する「コンセプト」を実現することをめざします。

また、目標の達成を決める最も大きな要因は、コミュニケーションの精度と密度であると私たちは考えます。
特に大きな課題になればなるほど、多様な価値観を持った多くの人がそれに関わりることになるため、わずかな認識のズレはどんどん大きくなってしまいます。
したがって私たちは、問題に関わるすべての人たちの立場に立って物事を考え、理解し、共感します。
その上で、そのような人たちがコンセプトを自らのものであると認識し、自らのストーリーとして語れるような最良の表現を追求し、提供することをめざします。

私たちは最初の問題定義を一旦保留します。
それから、顕在化している課題を予断なく観察し、様々な切り口でそれらを捉えることで、再度問題を定義します。
このために、私たちの提案は賛否を巻きおこすかもしれません。
しかしながら、私たちはそれを恐れることなく、常に「”Good”ではなく”Great”な問題解決」を提案することをめざします。
結果としてそれは、問題を抱えている人に気付きを与え、行動の変革を促します。
私たちは、共に考え、共に気づき、共に創り出すことで、本質的で創造的な問題解決への寄与する集団です。